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2013/04/09

地震・津波・原発(福島、宮城訪問記)3月21-23日

  • 目的:被災地の為に何が出来るかを探すため
  • 担当:なび特派員千葉
  • この記事は時間を掛けまとめましたが完全ではありません。

被災地に行き思った事、この運命の差異をどう捕らえたらよいのか分からない非常に混乱している自分が居ました。いつも思うことは、何故、その日、その時、その場所にいなければならなかったのか。

という事です。私たちは運命は変えられる。とか、努力すればなんとかなるとか、色々な事を言います。しかし、最後、何故、その日その時その場所にいたんだ。 という問いには、それが運命だったという以外の答えが見当たらないからです。

私たちの存在にどんな意味があるのかはわかりません。
ただ自然の猛威の中でなすすべのない私たちは一体、この運命をどう捉えれば良いのかを考えた時に、黙る事も一つの方法ですが、やはり言う事も大事であるという結論になりました。色々なところで色々な人が色々な情報を公開しています。

東日本大震災は3年目を迎えて、落ち着いたところと全く手付かずのところが明確にわかれています。日本という国に与えられたこの自然の猛威はこの国にいる限りついて回ります。少しでも日本中の人がその日その時どこに居るかを考える一助になればと思い、少しでも前に進む事の力になるためにここに記します。

そう世界の人々も貴方を応援してくれた。そして皆それを決して忘れない。

津波は場所によって全く表情が違う

2泊3日で茨城から石巻まで北上した。
途中警戒区域を抜けて、南相馬からさらに石巻まで行った感想として。

海沿いに住んでいる人々は海も含め地形に注意する。
出来るだけ低地には住まない

という事です。

グーグル・アースをダウンロードしよう

グーグル・アースの左下のレイヤという中に ギャラリー というところがあります。
そこにチェックを入れると地震の震源と大きさのマークが現れます。
皆さんの地域のどこで地震が起きたかひと目でわかるようになっています。
東日本大震災の前は東北のマークはこんなに多く有りませんでした。
一つの地震がこれだけの余震を起こしている事になります。
日本に住む以上地震から逃れる事は不可能でしょう。

ではどうすれば良いのかこういった情報を前もって持っている人で準備している人とそうでない人は全くその結果が変わる事。
それを今回思い知りました。

対岸の火事では有りません

対岸の火事では有りません

この動画もいかに311が世界の地震の中で通常の状態で無かったかを確認出来ます。
3月11日を境に東北、東日本の地震発生が異常な回数を記録しますが、これが地球の活動なのです。特に地震の発生頻度のグラフを見ると世界的に上昇傾向なのがわかります。これは地球という惑星の活動の一貫で有り、私達の社会活動はあくまでその上の営みでしかありません。東日本大震災はあくまであの日あの時あの場所の一部分だったに過ぎないのです。

津波被害の碑は全国にあります。貴方の県にもあるかもしれません。
いや海沿いの場所は絶対にその痕跡が有るはずです。単に私達は無視していたに過ぎないと思うようになりました。

日本全国の津波災害の史跡

住宅を購入、新築するときにはくれぐれも慎重になられる事。
一度買った住宅は代々引き継がれる可能性が高くなるので、子々孫々にその影響が及ぶ可能性があります。もし低地に住宅を建てる場合は基礎に十分気をつける。その地形の歴史を調べる。1Fを鉄骨にして駐車場にする等の工夫があれば尚良いでしょう。
これは津波だけで無く河川でも同様です。

建築会社や営業担当者任せにせず、自分で最低限守るべき知識を持つ事を強くお薦めします。相手は地域の事や過去のその地域の歴史まで調べて提案してくれる訳では無いかもしれません。何も無ければ良いですが子々孫々の事を考えると100年単位での考え方が必要になった場合、はじめの備えがあれば、その後の復旧コストが全く変わります。普通に生活している人と、家全部を失う人ではその人生設計すべてが変わってしまう。その負担はある意味絶望的な影響を与える可能性があるからです。
しっかり防災の事を伝え住宅建築も考える事です。

一度被害に会うとその復旧には人生のやり直しが要求される場合があります。若い時は良いかもしれませんが年齢がいってからの人生のやり直しは事実上難しく、年金が出たり補助が出ている今の時代はまだ生き延びられるかもしれませんがそういった補助が未来に期待できない事を思うと、その意思決定は子々孫々に重大な影響を与えるとおもわれるからです。

逃げる場所を確保し、出来るだけ早く逃げる

この2つが大変重要です。

海沿いの広大な低地は車の渋滞で抜け出せなくなる

今回、南相馬、相馬、仙台空港、名取市等に行った事で思ったのは広大な平地の場所が津波にやられている事で、その場合逃げ場所の確保がかなりの確率で困難で有ったという事があります。

特に車で逃げようという場合には渋滞で車が動けない。そうなると身ひとつでどのように逃げ場所を確保するか、その困難さを感じました。景観を守るために高いビル建設が禁止されているような海沿いの住宅地など全国にもかなりありますが、そういった場所はどこに逃げるのかについて家族と打ち合わせをしておいた方が良いです。

今回の最も大きな問題は油断だと言えます。津波なんか来ない。そう思い行動が遅れた人たちが津波に襲われた印象が拭えません。(しかしまさかこんなところまで津波が来る筈が無いという場所にも津波は到達していました。どうぞ日頃から地形についてはよく見ておく事をおすすめします。子供には是非教えこんであげてください。)
仙台空港は海に大変近かった事を知ったのもそうですが、広大な平地で高い場所がほとんど無い。それこそ歩道橋や学校の屋上に登った人々は助かった。

閖上地区(ゆりあげちく)とかは車で逃げようと思った人々が渋滞にはまり、車で津波に流された人々がかなり多かったとおもいます。

宮城県名取市閖上中

宮城県名取市閖上中は閉鎖している ガードレールが痛々しい

まさに上の中学側から撮影した動画。

この広大な場所。ここに建物が建て込んでいた。
都市部の場合、津波は音もなく入り込む。そして流入速度を一気に増していく。
まず自分の身の置き場をどこに置けるのか…。この教訓を活かすべきです。

名取市広大な平地

名取市広大な平地

このユーチューブ空撮はかなり広域の地区を撮り続けている。
津波そのものの動き、車の動き、人の動きも分かる。水の動き、心が痛むが後世や他の地域の人々も見るべきだ。津波はその場所場所で全く違う表情を見せる。
とにかく高い場所に逃げる。高速道路は高い場所にあるが階段の一つでもあれば沢山の人が退避出来た筈だがそれすらも無いのは道路公団も一考しろと言いたい。

歴史的映像1

歴史的映像2


閖上(ゆりあげ・名取市)を襲った大津波の証言

自分だけ車を置いて逃げる訳にもいかず、どうにもならない状況で津波に襲われた人がほとんどでしょう。これは社会的にも同意が必要でできるだけ車を置き、高い場所に逃げられる合意が必要です。津波の速度を考えると躊躇している時間はありません。すぐ行動出来る指針が必要になると考えられます。そういう意味では車が駄目になるとか路肩に車を置いてなんか逃げられないとかそういった常識的判断が逃げるという選択を邪魔した事が被害を大きくしたという事もある筈です。また先頭の車が真ん中で止まると後続の車は逃げ場を失います。低地の場所の家々は津波が来ると分かったら入り口に鍵をかけず逃げ場を失った人々が2階に逃げられるようにしておくとか、そういった社会合意が絶対に必要です。津波の先頭は瓦礫だらけになるので凶器が押し寄せるのと同じになります。

どこに逃げるのか?特に都市を津波が襲う場合にはどこが高い場所でどこが低地か、津波はどの経路を通るのか、どの場所の流入速度が早い、遅いとかを判断出来ない状態に置かれるのです。

今後の防災についてはそれらを十二分に考える必要があります。これは対岸の火事ではありません。東京の海抜0m地帯。神奈川、静岡、愛知、三重、和歌山、大阪、四国、九州どこも津波の被害碑があります。問題はいつというだけでこれらの災害に遭ってしまうと、その世代が人生大きな軌道修正を求められます。

都市部の場合は迷路のように水が回り込みます。
ここも危険なのは車で脱出し渋滞にはまりこんだ時です。
その位置とそのエリアからの脱出までの時間、もしくは高い上部な構造物があるか。
車をどの時点で諦めるか、そういった判断が必要になるでしょう。

歩道橋が命を救う場所にもなり得るのです。

この動画の方は仙台多賀城市で歩道橋に辿り付き津波の一部始終を外国の人々に何が起きたかを写真と動画を英語で伝えようとしています。渋滞の中都市部での津波の様子が克明に記録されています。男性は途中泳いで逃げる姿が映っています。ところが女性、泳げない子供達はどう出来るのか。逃げ遅れた場合に何が出来るのか。ロープが一つあるだけで救えた命もあるかもしれない。それら含め人類の前に災害は立ちはだかるのです。

東南海の連動も歴史上起きている事でまさに東日本大震災は教訓の一つとし日本の前に立ちはだかるのです。

東日本大震災の大津波の実態を報道記事を通して検証するサイト メモリー

堺市にある『擁護璽』(ようごじ)をご存知ですか? (大阪府堺市)

津波の知識と教訓 ・防災システム研究所ホームページより

 

入江になっているところは波が急に上がり、かなりの高さになっているという事です。

特に低地の入江には流入速度もかなり速くなるので家は完全に流されます
今後、どこで地震が起きるかは分かりませんが、海底で起きる地震が来た場合は要注意です。
津波の速度は海底の地形、陸地の地形で全く違う表情を表します。

場所によって流入速度は全く違い、一瞬の判断で運命が変わる事を肝に命じるべきです。
(記録の為に紹介します。)

気仙沼の状況

釜石の状況

東海地震(南海トラフ巨大地震)が切迫している理由
今度東南海地震の3連動が起きると富士山の噴火も現実味を帯びる。

房総半島大震災 千葉震度7 東京震度6の恐れ

【南海トラフ巨大地震】津波シミュレーション(断層ケース01)

【南海トラフ巨大地震】津波シミュレーション(断層ケース02)

それと今回ものすごく感じたのは、実際の地形を見ると、そこは過去にも同様の津波が来た痕跡があるはずだという事です。
南相馬などは、両側が丘っぽくなっていてその真中が広大な低地になっていました。
その奥、多分5キロも6キロも奥まったところまで津波は到達していると思われます。
そういう場所は絶対に過去に同様の歴史が有った筈という事です。

それらの意見は無視されたか、全く注目されなかった意見な筈です。
私が思うのは、そこに住む決断をした場合、下手をすると何代も後の子孫が被害に会う事です。
海沿いは景観が良いという理由が最も好まれる理由だと思います。
しかし、地形によってはその選択が命取りになる可能性があります。人間は地球の活動の前には無力です。
たとえ貴方の代に何も無くても、貴方の子々孫々に突然の運命の変更を及ぼす事で、苦難の道を歩くかもしれません。どうぞその事を考えて決断して欲しいという事が今回の地震と津波で素直に感じた事です。

 

原発被害について – 言葉を失う状況

福島に行った初日は原発の警戒区域の検問まで行きました。
この検問は大阪県警が担当のようでした。全国の警察組織が応援に来てるのか?というのが第一印象でした。
ここは防護服を着た疲れ果てていそうな人々を運んでいるバスが走っていたり、夕方の真っ暗な町に信号だけが光っているという光景を見たり、普通じゃない状況でした。

警戒区域検問(この時は富岡町)

福島県富岡町大阪県警の警戒区域検問(この時は富岡町)

原発についてどう言って良いのか大変難しい問題です。
実際にここに家を持っている方々や、住んでいる方々が居るので部外者的に汚染がひどいと言う事が良いことなのかどうなのか。あまり無責任に言うべきことでは無いと。しかし、その汚染地域の除染とかは国民の税金も入っているので日本人全体の問題にもなっています。

その住んでいる人と、日本人全体の問題とをどう捉えればよいのかわからないからです。
低放射線線量の長期的影響についてはまだまだわからない事が有り、軽々に論じる事は出来ません。

ただ、その危険さを知って行動するのとしないのとでは結果が変わります。
危険であればそれを避ける行動の選択が未来の結果を変える事を思えば、その選択をされる事が最も良いと思うからです。もう起きてしまった。取り戻す事は出来ない。しかも可能性として今後何十年も解決には掛かるかもしれないからです。

原子力発電所はある意味、原子爆弾よりも厄介な技術と言えます。
原爆は一瞬の爆発で核分裂が終わるからです。ところが原発はずっと核分裂をさせ続ける技術です。

注)核融合と核分裂を混同していました。
核爆発
原子力発電
原子炉
臨界状態
核融合はまだ実用段階に無いとの記述があります。(Wikipedia)

その仕組みが崩れた時、人類はとてつもない厄介な処理を要求される。そしてそれはそこに住んでいた人々にとてつもない負担を強いる。その事に軽々な意見も禁物になります。本当に厄介な事ですがこの現実にどう向き合うかも日本人に要求しているのです。

下記の記事は人体に当てはまるものでは無いかもしれません。
動植物は完全に放射線の影響を受けたものの中で生きているからです。しかし動植物への影響があるという事は人体に無影響だとは誰も証明出来ないでしょう。
特に、若い人たち、これから子供を産もうとする人々がこの地に住み続けるという事が現実的ではなくなると考えざるを得ないのです。

今もまだ4号機の状況は安定とは程遠い状況です。東日本に住んでいる人々は4号機の使用済み燃料プールの水の喪失を偶然免れた事で驚異的な幸運に恵まれた事を知っていますか?。
4号機に工事ミスが無ければ東京にも避難勧告が出ていた事は間違いありません。いやそれ以上かもしれなかった。
誰も第一原発も第二原発にも近づけない状況に陥った可能性さえあったのです。工事ミスが日本を助けたのです。東京の人口皆が避難生活をする事が想像出来ますか?

このグレゴリーヤツコ氏は真摯なアメリカ人だ。このような人が日本にも居るべきだ。

原発の“安全”を問い直す ~米NRC前委員長 福島… 投稿者 tvpickup

私自身の感想ですのであくまで個人的な感想を述べます。

原発も難しい側面があるのは理解しています。日本のエネルギー政策と経済問題と様々な複合要因が絡み合いますが、少なくとも今の使用済み核燃料プールがあんな上にある事は設計時点から大変危険極まりない事だと言えます。
昨日、テレビで原発はテロにやられても大丈夫だと、元森元防衛庁長官が言っていました。え?と私。それって格納容器の事じゃないのか?という事です。使用済燃料プールも核や爆弾攻撃に耐えられるとかとても思いません。あんな水素爆発で建屋が吹っ飛んでいるのに?
ここの水が無くなれば使用済み核燃料は大気中に触れる事になり大気中で核分裂が起きる事になるからです。よって原発が安全であるというプロパガンダは完全に崩壊しています。

楢葉町の除染後の一時保管場所

除染一時保管場所

除染一時保管場所

いわき市から南相馬に行くのに警戒区域を回避しながら北上するしか方法が無かった。
常磐道から小野インターというところを目指し399号線を北上していった。
その途中の状況が下です。ガイガーカウンターは車に積みっぱなしです。アラームの値は0.5マイクロシーベルトで鳴るように設定してあります。ですので音がしないところは0.5マイクロシーベルト以下。音がするところはそれ以上になりますが、川内村に入ったあたりからほぼガイガーカウンターは鳴りっぱなしになります。
北西部の状況は本当に厳しいと感じました。どうにかなるのか…。ここにも住んでいる人々が居る。それが心が痛むところです。

福島第一の北西部一帯の方々はどんな思いをしながらこの先も住まねばならないか心が本当に痛みます。
本当は出来るだけそういった場所での人生はおくらない事を目指す事が最善だとは思います。
勿論難しい問題があります。代々その地域に住んでいる人にとっては大きな問題な事もわかります。

ただ私達は皆、いずれ死ぬのです。子供が出て行けば、そこの代で終わり、その地域そのものが消滅していくのです。それが現実である事を思うと、未来に何をつないでいくのかを考える事が今の世代の責任だと思うのです。軽々に言う事はできませんが高線量の地域は10年、20年単位で考えねばならない問題だと。

このストレスの中で生きる事や、たとえ戻ることが出来たとしても、その重圧を抱える事。もし子供が浪江や飯舘村に住めるのか。低線量放射線の人体への影響がわからない中で…。
私自身の考えとしては出来るだけ早く代替エネルギーに原発を置き換えていく事。原発の安全は多角的に見ても確保が出来ない。核分裂や融合をさせ続ける技術は危険過ぎる。という事です。車で運転している中で2マイクロとか3マイクロという事はそこに降りた場合、その数値は跳ね上がるでしょう。しかも綺麗な山々や川、綺麗な風景を持っているところの汚染はそうそう簡単に除染は出来ないと思われるからです。

ある人が言っていたのは、『まだ自身や津波はなんとか復興は出来る。でも放射能はそんなに簡単じゃ無い。』という言葉です。家族が離れ離れになり暮らさねばならない状況は本当に辛いと思います。

簡単では無いと思いますが、例えば私の家はそもそも兵庫県伊丹にあったようです。しかし祖母の代に祖母の娘が東京に出てきた事で、祖母と二人の娘が東京で住むようになり、東京の立川で私は生まれました。よって親戚や先祖とは祖母の代で断ち切られてしまいました。今はもう57歳ですがそれが当たり前の自分の人生だったと認識しています。家族の継続性喪失というものは集団就職とかでも起きた事でしょう。都市で出会いが有り、新しい家族が生まれという事です。それを思うとどこかで決断しなければならないときが来るのではないかと考えています。

福島原発事故は本当にひどい状況でした。対応もひどかった。しかし、もう起きてしまった。今後起きないようにという事の為に皆が考え実践する事しかありません。

0.62ガイガーカウンター初めて見る値

0.61マイクロシーベルト ガイガーカウンター初めて見る値

原発被害の感想

この事は原発周辺の地域にも言える事です。結局、東電や国がどの程度の責任を負うのかはわかりません。ただ最後は個人に責任を負わされる事になる可能性が高いという事です。しかもその汚染はまさに風まかせ、雨任せで有り対岸の火事ではありません。福島は特に代々山村に住んでいた居た方々はなんの責任も無い。しかしその地域汚染がもっともひどい。ただ誰にも何も言えない状態になります。まだ相手が居るという事はある意味責任転嫁を相手に出来るのは楽な事です。相手を責める事が出来るからです。ところが誰にも責任転嫁が出来ず、自分がその責を負う。相手を責めるその矛先をすべて自分に向けねばならない事は強靭な精神力も要求されます。

例えば使用済み燃料は廃棄場所も決定しておらず、現在は原発の格納容器から取り出し一時保管のためのプールに入れられていますが、その燃料プールから水がなくなると使用済燃料プールも発熱を始め水が無くなるとメルトダウンします。最もこれで怖いのはテロです。核兵器など必要が無く、原発を攻撃されればひとたまりもありません。現在福島の高放射線量エリアはかなり限定されてきています。

しかし、福島第1原発は東側が太平洋だった事がある意味良かったのかもしれません。勿論、漁業には大きな影響を与えていますので軽々には判断出来ません。
ただ、これが日本海側で起きた場合、福井の原発がひとつ福島と同じ状況になれば大阪、京都は、今の福島の高線量地域と同じになります。
エネルギー問題は大変難しい問題ですが、日本人全体として国のエネルギーをどうするのか考える必要性があります。

原発を誘致する市町村はお金や仕事と引き換えに原発を誘致した場合、もしなんらかのトラブルを生じた場合、それもまた子々孫々に影響する事を十二分に考える必要があるでしょう。中国や韓国で原発事故があれば偏西風で日本には重大な影響があります。何も無いとは誰も何も言えないのです。

皆、自分で育った場所に戻りたいというのは一種の帰巣本能のようなものだと思います。
しかし、低線量放射線の影響がわからない以上、安易に若い人が戻る事にはやはり賛成出来ません。
放射線の影響については様々な意見が有り、安易に皆さんに紹介するのはどうも気が進みません。
ただ恐怖を煽るとかでは無く、強烈な重みを未来に背負う確率は出来るだけ小さな方が良いという事が言いたいのです。

今回の被災地を訪れ、様々な気持ちを持ちました。
私が本当にやりたいのは長期的な成長産業の創出です。一時のお金や、寄付では無く、皆さんが新しい未来へ共に立ち上がり、新しい未来を作る手助けが出来ればと思っています。

そのために何が出来るか。これからも探し続けたいとおもいます。
(2013年4月9日記)

—–// 下記の記事は行った日に書いた記事ですがこれも残しておきます。 //—-

2013年3月24日(日)
昨日の夜中に千葉に帰って来ました。
今日、安倍首相が福島に行ったようですが、実はコントラストがかなりはっきりしてきています。
まだ、細かい部分は徐々に記事をまとめていきます。
ただ、こういった記事においてネットでの一般住宅の被災状況の写真や動画公開は権利問題が絡むのでちょっと出来ません。楢葉町の町役場でも相談しましたが、個人住宅の撮影は慎重にとの事でした。(公共施設はオーケー)
ですのでここでの写真公開はかなり限定されてしまいます。

大雑把に事実関係を言えば

・仙台はほぼ復旧している
塩釜のしまむらで靴下を買った時、レジの女の子にここは津波は大丈夫だったの?と聞くと、水は上がってきたけど商品に影響するまでにはならなかったという事で普通に営業していました。仙台港の方のアウトレットや大型店群の場所も普通で、渋滞も人の動きも普通でした。

・松島の観光も戻っている。
・石巻で土曜日に宿泊を試みたが全コンタクトをとったホテルで満室だった

という事で宮城での復興はかなり進み始めて居る感じがする。(個人的印象)
ただ、福島はまだまだ復興は進んでいる感じはしませんが、国の施策はかなりの規模で進行している事は言えます。

・国土交通省、農水省のゼッケンを貼った大型トラックが護岸工事や海岸工事にかなりの台数が走っている。
・楢葉町、広野町では除染の作業員達がかなりの人数が入っていて、宿泊施設もかなりの人々が居る。
・福島の放射能汚染地域はかなり限定されて来ている。危険を煽る訳では無いが気をつけた方が良い場所もある

除染進捗マップ

という事はあります。
ですので日本人の皆さんは各自各自が一生懸命自分の出来る事をやり、納税をする事でそれらの人々の助けになっていることは確実だと報告はできます。

ただ、本当の意味での復興が出来るのかどうなのか、それはその地域が元通りになる事とは別になります。
それはその地域に住む人々に突きつけられた大きな課題になります。
人が居ないところでは仕事は成り立ちません。どう生活を建てなおすかについては大きなテーマとして横たわります。

なび特派員千葉
——————————————————————————-
警戒区域の検問地まで北上した初めて見るこのガイガーカウンター値
楢葉町に入ってから異常に数値が上がり始めた。まだ福島は戦いの最中にある。先ず思いの外、周囲の人々が心配してくれてありがとう。実は私の年令はもう放射能に対する感受性が弱いのでこういう事こそ自分の出番なのですよ。感覚的に広野町までは至って普通です。ところが広野町から雰囲気が激変していく(夕方のファミリーマートに作業員っぽい人々がお弁当等を買って10人以上並んでいる光景とか。)感じでしたが、まだ何が起きているのかよくわからないのが正直なところです。

今日、東関道を下り、鹿島から北上し、被災地に行き自分に何が出来るかを探そうと思い今、福島いわき市、かんぽの宿に居る。途中での記事を書くことも考えたのだが木更津から鹿島の北上は思ったよりかなり時間が掛かり、途中での記事アップは現実的で無かったのと、車が流れている中、途中で車を停めるのも気が引けたためほとんど運転をしながら警戒区域まで来てみた。

茨城県に居る間、屋根瓦が崩れている家がまだ所々にあった。
ただ海沿いを走っても、海側にある家も何も無く、地震の影響が大きかった事がわかった。
鹿島もアントラーズの本拠地だ位なイメージで普通だ。
北茨城に来ても光景はいたって普通。
ランドセルを背負った小学生達が下校している。
どこでもある光景を見ながら北上していった。
日立あたりでは普通に渋滞も起きている。
ガイガーカウンターの値もほぼ千葉と変わらず。
そうか、放射能自体広域に拡散している感じはしないというのが正直なはじめの感想だった。

混乱した2013年3月21日でした

自分がいったい何が出来るか探しに被災地に行こうと思った初日です。
今日は大変混乱しています。
普通と異常と超異常を見たからだと思います。
ビデオの方が臨場感がまだ伝わるだろう。実際はこれの数千倍のイメージが襲ってくる。
一体何が出来るのか…  ごめんなさい。まだ地名もよくわからない…

初日はかんぽの宿いわきに宿泊
海からすぐなのにここは普通だ。余りに普通すぎる。露天風呂も有り、皆普通なのがなんなんだ?
夜、すき家の牛丼を買いに行った。そこも普通に子供もいるし、若い店員が働いていた。
普通だった。

回線状況が悪いので編集はしません。よろしくお願いいたします。

今、二日目です。
ここは久之浜というところでした。波立(はったち)といわれるところのようです。
やはり地形が大きな被災の要素になっている事。ただ海沿いの家が残り、内陸の家のなケースもあり理由がまだ見えない。

被災エリアが限定されているのだ。その境界がはっきりしている事を思い知らされる。それは被災する人と被災しなかった人の線引きもはっきりする事を意味している。

明日は楢葉町にまた行こうと思います。
ビデオ撮影は多分賛否があると思いますがやはり現実を受け入れる必要があると思うのと、やはり津波が来るところにもう家は建てないほうが良いと思う事、また原発事故の悲惨さは知っておくべきだと思うところにあります。
今日着いたのがもう日没前だったので写真が取れませんでした。
暗闇の中、電気が付いているのが信号だけの街。

これは対岸の火事ではなく、福島の東はまだ太平洋だったから救われた部分が有って、日本海側の原発や韓国、中国の原発事故があったら日本全てが楢葉町になるかもしれないとの警告だと思うのです。
記録は記憶。
やはり個人宅も映るかもしれませんがビデオでの撮影を試みようと思います。
人類は一体何がしたいんでしょうか考えさせられます。

なび特派員千葉

※編集後記
3月23日。実は私はもう一泊しようと思っていました。夕方石巻に着いた私はその日も泊まれるとタカをくくっていました。実は床屋に数日前から行こうと思っていて、どうせ床屋に行くなら被災地で行こうと決めていました。石巻に着いた夕方車で石巻を走るなか、ビルディングはまだ残ってるなとか思っていたところ有る一軒の仮設プレハブを二つ使った前に床屋の赤青白のマークが回っているのを見つけ、ここで髪を切ってもらおうと決め、前の駐車場に車を留めました。

多分、ご家族で床屋をやっている雰囲気のそこで、髪を切っている間、家族の皆さんは津波の避難は出来たけど家(その仮設の場所)は無くなったと。気丈に話しをしてくれました。お年寄りご夫婦と、ご主人と奥さんであろう方。皆が立ち直りに向けてこの場所でとりあえず再建し、仕事をしているであろう事に力を貰いました。

その後、石巻のホテルというホテルや旅館に電話をしましたが全部満室。
その日は土曜日だった事を忘れていました。ホテル、旅館さがし電話を1時間半位していましたがどこも満員、ある意味それは私を安心させました。それは間違い無く、この町に訪れる人々が沢山いる証明だからです。

石巻中心部の飲食店もパラパラではありますが営業している。ホテルは満室。
それで、夜の7時位でしたが、その日に帰ることを決断しました。
帰りに大型のモールのそばに回転寿司が有ったので、せっかくなので海産物を食べて帰ろうと思いましたが、かなりの人が待っていたのでそこで食べる事は止め、そのまま東北道に向かいました。

今回の旅は色々なことを考えさせられました。
普通の場所、復興しつつある場所と全く手付かずなところ。地震と津波と原発というコントラスト。
松島は観光地としてほぼ完全に復興しており、津波の痕跡はありますが普通の観光地になっていました。
それと、楢葉町のコントラスト。

ただ今回思ったのは国がかなり力を入れていた現実です。
護岸の復旧、除染活動、被災者への生活保障等。

沢山の納税者の皆さんが被災地の為に何か出来ないかと思っています。しかし納税者の皆さんは確実に被災地の方々を助ける一助になっているという事です。
国の活動はかなり大々的に行なっている事を実際この目で見られた事は良かったと思っています。

皆が自分の出来る事を一生懸命にする。実はそれが大事なのです。
その皆さんの納税が被災地を助けています。

それを認識出来た事。その上で何が出来るかを今後も考えながら進もうと思います。

前にも書いたとおり、一時的なお金や救済は蒸発して終わります。継続的発展、持続的な経済活動を生み出して初めて皆、自立出来る。またそれを目指さないと無意味であるということ。

私はそれを模索していきたいと思います。

ネットフロイド代表取締役
新城 賢治


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